『東海紀行』『帰家日記』本文・現代語訳例

『東海紀行』『帰家日記』本文・現代語訳例

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はじめに

今回は『東海紀行』『帰家日記』の一部の本文・現代語訳を掲載します。

『東海紀行』『帰家日記』は井上通女が著した江戸時代の紀行文でです。

掲載している箇所は2021年の京都府立大学の第2問(古文)で出題されています。そちらの解説はまた別途掲載する予定です。今しばらくお待ちください。


それでは行ってみましょう🔥


『東海紀行』本文(桑名より船にのる。~過ぎ行きぬ。)

『東海紀行』本文

 桑名より船にのる。暮れかかりて、星のひかりあざやかなるに、黒き雲、むらむらだだよふ。人々、「此のわたり、風ふけばあやうし」とて、空をみつつこがれゆく。我は何事もいさしらず、ただ人のいふを聞きふせり。風もいでこず、いとのどかにて、子の時ばかりに熱田につく。やがてものしたためなどして、宿をいでゆく。

 まだ夜ふかければ、いづかたもみえず。鳴海、矢作などいふを聞き過ぎぬ。夜あけていとよくはれわたりたるに、きのふの雪にやあらむ、むかふなる山の峰々、いとしろくみゆ。

 「八橋はここわたりとこそ聞きつるに」といへど、したがふ者ども、「さうけたまはりしは、一里ほどあなたに、沢は畑のやうになり、橋は杭ばかり残りて、杜若もいづちいにけむ、ゆかりの色もなければ、御覧ずべくもなし」といひしが、聞こえしさるあとこそなほゆかしけれとおもへど、かくいへば見ずして過ぎ行きぬ。


現代語訳例

現代語訳例

 桑名から船に乗る。日が暮れて、星の光が鮮やかなところに、黒い雲が群れをなして漂っている。人々が「このあたりは、風が吹くと危ない」と言って、空を見ながら(船を)漕いでゆく。私は何事もさっぱり分からず、ただ人の言うことを聞いて横になっていた。風も吹いてこず、たいそう穏やかで、夜中の十二時ごろに熱田に着く。すぐに仕度などをして、宿を出てゆく。

 まだ夜が深いので、どちらの方角も見えない。鳴海、矢作などという地名を聞きながら通り過ぎた。夜が明けてたいそうよく晴れ渡っているところに、昨日の雪であろうか、向こうに見える山の峰々がたいそう白く見える。

 「八橋はこのあたりだと聞いているのですが」と言うけれど、従う者たちが、「そのように承りましたのは、一里ほどあちらで、沢は畑のようになっており、橋は杭だけが残って、杜若(かきつばた)もどこへ行ってしまったのか、ゆかりの色(紫色の花)もないので、ご覧になる価値もありません」と言ったので、評判のそのような(名所の)跡が、やはり見たいものだと思うが、(従者が)このように言うので見ないで通り過ぎてしまった。


『帰家日記』本文(今宵は赤坂にやどる。~名ごり惜しめり。)

『帰家日記』本文

 今宵は赤坂にやどる。あるじの女房すきものにて、我何となく硯にむかひて物かきすさむを、ゆかしがりて、人しづまりて、わかき女の宵よりきたりてつかふるにあないさせて出できたりぬ。なにやかや物がたりして、手習の反古どもをせちにゆかしがれば、詩や歌かきてやる。よろこぶ事かぎりなし。

 其身の有さまなど語りて、「はやうかかる事ども、及ばずながら心よせ侍りつるを、おもひのほかなるよすがにつきて、かしがましき市の中のすまひ、本意にもあらずおもひ侍る」などいふ。

 「おやのさとはいづくぞ」といへば、「三河の国八橋のあたり」とこたふ。「今もむかしの跡はありや」ととへば、「八橋の柱にや、かたばかりに残れるを、其あとと申しつたへ侍る。業平の塚も侍る」とかたる。

 業平はそこにて終り給ひしともみえざめるを、さる人の過ぎがてにながめたまひけむあととなれば、後の世までのしるしにしおき侍るにやとおもはる。ややありて帰りぬ。

 鳥もほどなくあかつきを告げわたれば、起き出でて、十八日、例のあけぼのころほひ、やどりを出づ。よべの女ども、なごり惜しめり。


現代語訳例

現代語訳例

 今夜は赤坂に宿をとる。宿の女房が風流を好む人で、私が何ということもなく硯に向かって物を書き散らしているのを、見たがって、人々が寝静まってから、若い女で、宵から来て仕えている者に取り次がせて出てきた。

 あれこれと話をして、(私の)手習いの書き損じの紙などをしきりに見たがるので、詩や歌などを書いて渡してやる。喜ぶこと限りない。自分自身の身の上などを語って、「以前からこのような(風流な)事柄に、及ばずながら関心を寄せておりましたが、思いがけない縁(結婚)によって、このように騒がしい市場の中の住まいとなり、本望ではないと思っております」などと言う。

 「親の里はどこですか」と言うと、「三河の国、八橋のあたりです」と答える。「今も昔の跡はありますか」と問うと、「八橋の柱でしょうか、形ばかりに残っているのを、その跡だと申し伝えております。(在原)業平の塚もございます」と語る。

 (在原)業平はそこ(三河)で亡くなったとも見えないけれど、あのような(風雅な)人(=業平)が、通り過ぎられないで歌を詠みなさったであろう跡であるから、後世までの目印として(塚を)置いてあるのであろうかと思われる。しばらくして(女房は)帰っていった。

 鶏もほどなく夜明けを告げ渡るので、起き出して、十八日、いつもの明け方ごろ、宿を出る。昨夜の女たちが、名残を惜しんでいた。

今回はここまで🐸

それぞれの用途で役立てていただけると幸いです。

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