『宋史』「周敦頤伝」書き下し例・現代語訳例
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はじめに
今回は『宋史』「周敦頤伝」の書き下し例・現代語訳例を掲載します。
掲載している箇所は2023年の京都府立大学の第3問(漢文)で出題されています。そちらの解説はまた別途掲載する予定です。今しばらくお待ちください。
それでは行ってみましょう🔥
関連記事はこちらから⇓(京都府立大2021古文で出題)
『宋史』「周敦頤伝」書き下し例
周敦頤字は茂叔、道州営道の人なり。分寧の主簿と為る。獄の久しく決せざる有り、敦頤至りて、一たび訊ぬるに立ちどころに弁ず。邑人驚きて曰く、老吏も如かざるなりと。部使者之を薦め、南安軍司理参軍に調せらる。 囚有り法は死に当たらざるも、転運使王逵は深く之を治めんと欲す。逵は酷悍の吏なり、衆敢えて争ふ莫し。敦頤独り之と弁ずるも、聴かず、乃ち手版を委てて帰り、将に官を棄てて去らんとして、曰く、此くのごときは尚ほ仕ふべけんや。人を殺して以て人に媚ぶること、吾為さざるなりと。逵悟り、囚は免るるを得。
郴の桂陽令に移るに、治績尤も著らかなり。郡守の李初平之を賢とし、之に語りて曰く、吾書を読まんと欲す、何如と。敦頤曰く、公は老にして及ぶ無し、公が為に之を言はんことを請ふと。二年にして果たして得る有り。徒りて南昌に知たり、南昌の人皆曰く、是れ能く分寧の獄を弁ずる者なり、吾が属訴ふる所を得たりと。富家大姓、黠吏悪少、惴惴焉として独り令に罪を得るを以て憂ひと為すのみにあらずして、又た善政を汚穢するを以て恥と為す。
合州の判官を歴へ、事手を経ざれば、吏敢へて決せず、之を下すと雖も、民従ふを肯ぜず。部使者趙抃、譖口に惑ひ、之に臨むに甚だ威あるも、敦頤之に処すること超然たり。虔州に通判たり、抃は虔に守たり、其の為す所を熟視し、乃ち大いに悟り、其の手を執りて曰く、吾幾ど君を失へり、今にして後に乃ち周茂叔を知るなりと。
現代語訳例
周敦頤、字は茂叔は、道州営道の人である 。分寧の主簿となった。裁判で、長く決着のつかないものがあったが、敦頤が着任すると、一度の尋問ですぐに解決した。村人は驚いて「ベテランの役人も彼には及ばない」と言った。部使者が彼を推薦し、南安軍の司理参軍に取り立てられた。ある囚人で、法に照らせば死刑に当たらない者がいたが、転運使の王逵はその囚人を厳しく罰しようとした。王逵は残酷で荒々しい役人であり、誰もあえて争おうとしなかった。(しかし)敦頤だけは独り彼と議論し、聞き入れられなかった。そこで笏を投げ捨てて帰り、辞職して立ち去ろうとし、「このような状態で、どうしてまだ仕官できようか。人を殺して(権力者に)こびへつらうようなことは、私はしない」と言った。王逵も悟るところがあり、囚人は死を免れることができた 。
郴の桂陽令に転任し、治績はとりわけ顕著であった 。郡守の李初平は彼を賢明だと思い、語りかけて言うには、「私は読書をしたいと思うが、どうだろうか」と。敦頤は「あなたは老獪で誰も及びません。あなたのために申し上げることがあればお許しください」と言った 。二年後、果たして(李初平は学問上の)収穫があった。南昌を治めることになると、南昌の人々は皆、「この人はあの分寧の裁判を鮮やかに解決した人だ。我らも(公正な)訴えができる場所を得たぞ」と言い合った。富豪や権力者、悪徳役人や不良少年たちは、ただ単に県令に罪を問われることを恐れるだけでなく、さらに(自分たちの悪行で彼の)優れた政治を汚すことを恥じた。
合州の判官を歴任したが、彼の手を経ない仕事は、部下もあえて決裁せず、たとえ決裁を下しても民衆が承知しなかった 。部使者の趙抃は讒言に惑い、非常に威圧的な態度で敦頤に臨んだが、敦頤は平然と対処した。敦頤が虔州の通判で、趙抃は同じ虔州の長官とであったとき、敦頤の言動を熟視して、ついに大いに悟り、彼の手を取って言った。「私は危うくあなた(のような賢人)を失うところであった。今になってようやく周茂叔という人物を知ることができた」と。
今回はここまで🐸
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