【解答解説】京都大学2022(文系)大問3(古文)/田安宗武『国歌八論余言』

【解答解説】京都大学2022(文系)大問3(古文)/田安宗武『国歌八論余言』

こんにちは!こくご部です。

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はじめに

今回は京都大学2022(文系)大問3(古文)/田安宗武『国歌八論余言』の解答例及び解説を掲載します。

語彙力はもちろん、高いレベルの論理的思考力と表現力が必要になる京都大学!

志望している人は早期の対策をおすすめします🐸

なお、著作権の関係から、 当ブログ作成の現代語訳及び解答解説のみを掲載し
設問は掲載していませんのでご了承ください。


それでは行ってみましょう🔥

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出典について

まずは出典の『国歌八論余言』について触れておきましょう。

出典

★ジャンル
 歌論:和歌に関する理論を著したもの。

★作者と『国歌八論』論争について
 作者の田安宗武は江戸時代の歌人で8代将軍徳川吉宗の次男(将軍職は長男の家重が引き継ぐ)。文武に秀でたとされ、古典にも精通。
 荷田在満を師として招聘し『国歌八論』を著させたが、宗武はその内容に反発。
 自ら『国歌八論余言』を著すも、在満は後の『国歌八論再論』でも立場を譲ることはなかった。
 そこで賀茂真淵にも意見を求める(『国家論臆説』)も、それぞれの意見は一致を見なかった。

その他
『国歌八論』『国歌八論余言』などによる文学論争を取り上げた藤平春男『歌論の研究』が早稲田大学社会科学部2010・大問2に見える。こちらは別の機会に解答解説を掲載する予定だが、機会があれば解いてみるのも良いだろう。


本文・現代語訳『国歌八論余言』

本文 現代語訳『国歌八論余言』

歌の道の大きに廃れにしは、歌合といふものの出で来しよりなり。

歌の道が大きく廃れたのは、歌合というものが出てきた頃からである。

それ歌は、喜び、怒り、悲しみ、楽しむなどのほどほどにつけてその心を遣るものにて、

そもそも歌は、喜び、怒り、悲しみ、楽しむなどの分相応に合わせて、その心を慰めるものであって、

人の心の和らげとなすなるを、いかにぞや、

人の心の和らげとするものであるのに、どういうわけか、

かたみに詠み出でてその争ひすなる、いと浅ましきわざなりかし

かわるがわる歌を作って示し、その優劣を争うというのは、非常に嘆かわしい行為であるよ。

またその頃よりは殊に歌のさまも悪しうなりぬ。

またその頃からは、特に歌の出来栄えも悪くなった。

それだにあるに、古き歌直すわざも出で来にたり。

そのことさえあるのに、昔の歌を手直しするような行為も現れた。

これもまたいとむくつけなるや。

これもまた非常に無風流なことであるよ。

その詠みたる人、世にあらばこそ、言ひも合はせぬべけれ。

その歌を詠んだ人がこの世に生きていれば、相談もするだろうが。

それも、己にたよるにしもあらぬ人には、もて出でて言ふべきことにしもあらず

それも、(和歌について)自分に頼るのでもない人には、歌を取り上げて言うべきことでもない。

また、己がほどなど詠めらん人の、直せなど言はんには、いと否むべきわざなるを、

また、自分自身のことなどについて詠むような人の歌について、「直せ」など言うことは、非常に断るべき行為であるのに、

それには引きかへて、声だに聞くべうもなき古の人の、

和歌のことばをすっかり取り替えて、声だけでも聞くことができるはずもない昔の人で、

しかも位高き人、或はよく詠む人の歌をも、

その上、位の高い人あるいは巧みに詠む人の歌をも、

おのが心に悪ししと思ふふしぶし直して、われこそよしと思ふらめ、

自分の心には悪いと思うようなあれこれを直して、自分の直した歌こそが良いと思っているのだろうが、

人はまたさも思はぬもあるべし。

他の人にとってはそう思わないこともあるだろう。

もとの歌はよくて直したる歌の悪しきが、

もとの歌は良いのに、手を加えた歌で粗悪な歌が流布し、

彼のもとの歌は亡びて直しつる歌のみ残らばいかにぞや。

あのもとの歌は滅んで手を加えた歌のみが残るのはどういうわけか。

いと歌詠みの嘆くべきわざなめり。

歌詠みが嘆くようなことであるようだ。

既に「田子の浦ゆうち出でて見れば真白にそ富士の高嶺に雪はふりける」といへる歌を、

もともと「田子の浦ゆうち出でて見れば真白にそ富士の高嶺に雪はふりける」と詠んだ歌を、

後の人の「真白にそ」を嫌ひて「白妙の」とかへ、「雪はふりける」を「ふりつつ」と直せり。

後世の人が「真白にそ」を嫌って「白妙の」と変え、「雪はふりける」を「ふりつつ」と直した。

目前の景色を詠める歌なれば、「ふりける」とこそ詠むべけれ。

眼前の景色を詠んだ歌であるので、「ふりける」と読むのが当然である。

「ふりつつ」と言ひぬれば、まだ外に意の含みたる様にて、しかも明らかならず。

「ふりつつ」と詠んだので、まだそれ以外の意味を含んでいるようで、しかもその内容ははっきりしない。

げに意余りて詞足らざるがごとくなりぬ

まさに「意余りて詞足らざるがごとく(思いが余るほどだが、それを表現する言葉が足りない)」になる。

★『古今集』仮名序で定家が「その心余りてことば足らず。しぼめる花の色なくて、にほひ残れるがごとし」と在原業平を評価したのを援用していると思われる。

また「白妙の」の詞は殊に殊に悪しし。

また、「白妙の」の言葉は非常に、非常に悪い。

もとの歌の「真白にそ」と言ひしは雪の色を言へること明らけし。

もとの歌が「真白にそ」と詠んでいるのは雪の色のことを詠んでいると明白である。

かの直しつる「白妙の」の詞はさは聞こえず、富士は色のもとより白きとぞ聞こゆ。

あの手を加えた「白妙の」の言葉はそうは聞こえず、富士山の色がもともと白いと聞こえる。

いかで富士の色の白かるべきや。

どうして富士の色が白いのだろうか。

この歌はいとめでたき歌なれど、後の人の直したればいといと悪しうなりぬ。

この歌は非常に出来の良い歌であるが、後世の人が直したので非常に、非常に粗悪になってしまった。

すべてかく悪しう直したる歌、数多あるべし。

このように悪く手直しした歌は、数多く存在していることだろう。

ただ古き歌にても悪ししと思はば用ゐずしてありぬべきを

単に古い歌であっても質が悪いと思うのであれば取り上げないでいればよいのに、

妄りに直してその人の意に違ふのみか

むやみやたらに手を加えて、詠み手の意図を違えるだけでなく、

悪しうさへするこそいとあぢきなきことなめれ

歌を粗悪にまでもしてしまうようなことは非常につまらないことであるようだ。


問1 理由説明問題

解答の方針・骨組み

まずは傍線部の逐語訳を心がけ、必要に応じ欠けている部分・省略されている部分を補う!

今回の設問を確認すると、「筆者が歌合を『いと浅ましきわざ』だと言うのはなぜか」とある。
基本単語である「浅まし」を押さえることができていれば筆者が歌合を良く思っていないことは明白であるので、「浅ましきわざ」だと思っている理由を示す箇所を探す。

今回は直前に「それ歌は、喜び、怒り~」とあるため、その部分を参照する。


・「それ」=そもそも
⇒漢文でも頻出の語。漢字を当てると「夫」。
「そもそも~」と来れば何かについて説明されそうだな、と反応してほしいところ。
実際に本文では「それ歌は喜び、怒り、悲しみ、楽しむなどの~」と歌の本質について説明(定義)しているので、ここを解答の根拠として用いたい。

 

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・「いかにぞや」=どういうわけか
⇒「いかにぞや」は理由について疑問を示すだけでなく、さらに踏み込んで筆者(話者)の「不満」を表す挿入句。
イメージとしては「何でそんなひどいことするのか全然分からない!ぷんぷん」というものである。ここからも筆者が歌合を「いと浅ましきわざ」と考えていることが伝わってくる。

 

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「かたみに詠み出でてその争ひすなる」
⇒京都大学を受験する生徒にとっては歌合は「常識」となっていてほしいが、万一「お初にお目にかかります…」という場合はここから状況をイメージしてほしい。歌を順番に詠み、その優劣を争うのである。

 

これらの情報をもとに解答をまとめていきたい。

問1

和歌は人間の喜怒哀楽に応じてそれにまつわる思いを詠んで心の憂さを晴らし、心の和らげとするものであるのに、歌合は和歌の優劣を争うものでありその本質から外れたものであるから。


問2 現代語訳問題

(2)の解答の方針・骨組み

必要であれば品詞分解を行って傍線部の逐語訳を心がけ、必要に応じ欠けている部分・省略されている部分を補う!

また、本問では「指示語が指す内容を明らかにしつつ」の指示があるため、傍線部中の指示語にチェックをつけるなどの工夫をしたい。

 

傍線部(2)「それも、己にたよる~」
⇒「それ」は基本的に直前の内容を受けると考えたい。
ここでは直前で「古き歌直すわざ」についての記述があるが、不確定要素が多いため直接的に「古き歌直すわざ」の何を指しているのかを判断するのは傍線部全体を現代語訳しながらのほうが賢明。

 

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・「己にたよる」
⇒「たよる」とあることから、何かに関して自分を当てにしていることが分かるが、その「何を頼るのか」が不確かであるので文脈判断が必要。(しかしここは「判断」は難しく、入試本番では「推測」の域を脱しないものになっても致し方が無いと割り切って次の問題に進んでほしい。)

直前で「古き歌直すわざ」の話題があり、古くから和歌には代作(和歌を上手く詠む者に自分の代わりに詠んでもらう)の文化があったとされているため、その知識がある場合は「和歌の手直しについて自分を頼る」としても良いであろう。

また、そこまで踏み込むことに対して違和感を覚える場合は「和歌について自分を頼る」と大まかな記述にしておくのも手。


(ちなみに「たよる」の活用は二種類あり、それぞれ自動詞・他動詞と変わるので「初耳!」という人はチェックしておきたい。)

 

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ここまで見てきた後で指示語「それ」の内容を確定しに戻ると、「古き歌直すわざ」を当てはめても不自然ではないため、「古き歌直すわざ」を指していると判断できる。

 

問2(2)

(2)和歌を直すことについても、和歌について自分に頼るのでもない人には、取り上げて言うべきことでもない。


(3)の解答の方針・骨組み

必要であれば品詞分解を行って傍線部の逐語訳を心がけ、必要に応じ欠けている部分・省略されている部分を補う!

また、本問では「指示語が指す内容を明らかにしつつ」の指示があるため、傍線部中の指示語にチェックをつけるなどの工夫をしたい。

 

傍線部(3)「われこそよしと思ふらめ、人は~」
⇒「さ」も(2)の「それ」と同様に、基本的に直前の内容を受けると考えたい。
一旦「そう」「そのように」と訳しておき、傍線部全体を現代語訳しながら判断していく。

 

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・「われこそよし」
⇒「われ」は「私」などの一人称であるが、(昔の人が詠んだ和歌を直して)「私が良いと思う」という状況は不自然である。

★主語周りで「何か不自然だな…」と思う場合は以下の可能性を疑ってほしい。
・「本文に主語が明記されていない場合、文脈判断による主語を取り違えている」
・「本文に主語らしき記述がある場合、その主語に過不足がある」

今回は後者のパターンであり、傍線部直前の内容を受けて「(昔の人が詠んだ和歌を直して)「私の手直した歌が良いと思う」とすべき箇所であった。

 

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・「人またさも思はぬ」
⇒大問1(現代文)の解説でも触れたが、「は」は「対比」という用法をもつ。
日本語話者にとってイメージしやすいかもしれないが、「おじいさん山へ芝刈りに、おばあさん川へ洗濯に」という文章では、「おじいさん」と「おばあさん」がそれぞれ対比されている。

ここでは「われこそよしと思ふ」と「人はまたさも思はぬ」の対比になっているため、解答にもそのニュアンスを含めたい。

 

「さ」が指示する内容については、この「対比」のフレームを用いると「よしと思ふ」の対比、「つまり「良いとは思わない」と確定できる。

問2(3)

(3)自分の手直した歌が良いと思っているのだろうが、他の人にとっては手直しした後の歌が良いと思わないこともあるだろう。


問3 内容説明問題

解答の方針

まずは傍線部の逐語訳を心がけ、必要に応じ欠けている部分・省略されている部分を補う!

 

⇒直訳すると
「意余りて」=思いが余る
「詞足らざる」=言葉が足りない となる。
つまり、筆者の思い(心情)が、言葉が足りないせいで伝わらない、十分に表現されていないと筆者が指摘している箇所であると言える。

 

なお、設問で「筆者が挙げる例に即して説明せよ」の指示があるので、本文中に筆者が挙げた例に触れて解答する必要があるが、その例を探す際にも上記の「言葉が足りない⇒伝わらない」という図式を持っていれば誤ることなくたどり着ける。

また、設問中の「例」という語に反応してほしい。
現代文でも筆者は「抽象」と「具体」を往復することで自説に説得力を持たせていくが、この「歌論」においても同様のことが言える。
自説が正しいと主張するために筆者は本文中に具体例を用いているのだと気付くことができれば、本文の理解が容易になるはずだ。(この場合は「田子の浦ゆ~」の歌の例。)

 

★余談
『古今和歌集』仮名序で定家が在原業平を以下のように評しており、筆者はその表現を援用していると思われる。

「その心余りてことば足らず。しぼめる花の色なくて、にほひ残れるがごとし」
⇒感動は余りあるほどであるが、言葉足らずである。しぼんだ花が色はないが、香りが残っているようだ

 

★「ふりつつ」について
⇒本来は「継続」「反復」を表す接続助詞「つつ」は、和歌の句末に用いられた場合「詠嘆」の意味になる(「つつ止め」と呼ばれる)

問3

本歌では自身の眼前の景色を詠んだ歌であるので「ふりける」と詠むべきどころであるが、「ふりつつ」とすることで余情を含むようになってしまい、情景や心情を表現するのに言葉が足りておらず、不足した状態になっているということ。


問4 現代語訳問題

解答の方針

まずは傍線部の逐語訳を心がけ、必要に応じ欠けている部分・省略されている部分を補う!

 

本問は「『その人』が指すものを明らかにしつつ」の指示はあるが、それ以外は至って平易な問題。
必要に応じて品詞分解を行って直訳した後、「何が言いたいのか」の観点から必ず解答をブラッシュアップすること。

 

「その人」は「妄りに直してその人の意に違ふのみか」とあることから、本歌を詠んだ作者のことと判断できる。

問4

単に古い歌であっても質が悪いと思うのであれば取り上げないでいればよいのに、むやみやたらに手を加えて、詠み手の意図を違えるだけでなく、歌を粗悪にまでもしてしまうようなことは非常につまらないことであるようだ。

今回はここまで🐸

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設問等は掲載していません。ご了承ください。


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